tanaproject(たなプロジェクト)は2011年9月より活動を開始し、東日本大震災で被災された地域の仮設住宅などに棚を届け、自分で自分のつかう棚をみんなでいっしょにつくるワークショップをおこなうプロジェクトです。長期で活動を継続していくため、2011年10月に団体を設立しました。

2011年8月11日木曜日

tanaを届けたいりゆう

今日は8月11日。
震災から5ヶ月が経ちました。

あらためて、東日本大震災で被災された方々に、お見舞い申し上げます。

今日は、tanaを届けたいりゆうを、いまのわたしの気持ちを、書いておきたいと思います。
誤解を恐れずにいまを書きます。
もし被災された方が読んだら、うれしくない気持ちをもつかもしれない。
おせっかいだとか、何をわかっているんだと言われるかもしれない。
それでも書いておきたい。

いまなお、被災されて避難生活を送っている方々がいること。
たくさんのだいじな命が失われて、くるしんでいる方々がいること。
がれきが片付けられない場所、つみあがる場所、がれきもなにもなくなってしまった場所。
いつも避難所で話してかけくれるおじちゃんがいまだに暑い体育館で寝ていて朝から仕事をがんばっていること。(おじちゃんとか言ったら怒るな・・・おにいちゃん?)
避難所にいくと一緒に遊ぶ三姉妹と四兄弟がこどもにとっても厳しい環境にいまもいること。

想うたびに胸が苦しくなります。

でも、
わたしは被災していないし、地震前の生活とあまりかわらない生活をしているから、
だから、たぶんちっとも被災することとか大事なものがなくなってしまうこと、前と違う場所で違う生活を余儀なくされることについてわかってない。
いつまでたってもわかるわけない。

けど、わたしにできることをつづけて、できるだけ同じ目線にいられるようにしたい。
わたしにはそれしかできません。
建築をやっているけど、わたしにはまだそんな力はなくって、
おおきな絵をまちに描いて復興計画をつくることも、堤防をつくることも、家をもとどおりにすることもできない。
わたしがこのあたまとからだひとつでできて、まわりの人に助けてもらって、そしてできるかぎり同じ目線でいて、かかわりつづけること。

それがたぶんこのtana*project。

わたしは、
1ヶ月たってはじめて被災した宮城県石巻へ行き、
2ヶ月たって3回ほど石巻の避難所でのボランティア中にtana*projectをおもいつき、
3ヶ月たって計20日間くらいふつうのボランティアをして、このtana*projectをある場所で発表して、
4ヶ月たってtana*projectが進みはじめて、
5ヶ月たってこんど練習WSを行うことになりました。

はじめて津波の被害を受けた場所に行ったとき、壊れたまちをみて何ができるか愕然として立ち尽くして、しばらく動けなかった。
もくもくとがれきを片付けて、写真や鞄やエコー図や靴をたくさん拾った。
ここにはたくさんの人がいて、生きていて、いろんな人生があったのに。
それに今も生活している、毎日食べて働いている。

避難所の近くの仮埋葬の場所に行って、お花を置いて、お祈りをして、
ボランティア団体を通して避難所のお手伝いをし始めて、いろんな人と話すようになって、
実名もその人の人生も知ることになって、

でも、いちども涙は出なかった。

涙はわたしが出すものじゃないと思ったからだと思う。

それよりもなんとかしたい。
被災したすべての人たちに、なんて大きいことは言えない。
わたしが避難所で知り合って、毎朝あいさつする人、行くたびに話す人、遊ぶこどもたち。
その人たちを助けたい。
おせっかいだとか、自己満足とか、被災地を自分の表現の場所にしているとか、普段はそんなことしていないのにとか。
いろいろ言われる。
きっとそれも正しい。

でも、知ったから。
もうその人たちは"被災者"じゃなくて、わたしの知ってる知り合い、ともだち。
自分にできることは、このフットワークの軽さを生かして、なんども足を運んで顔をみせること。
また来たよっていいたい。

そして自分だからできることをしたい、
というよりは、気づいたこと。

積み上がってよれっとなった支援物資の段ボール箱。
境目のない布団でしきられた眠るところ。
避難所の隅に積み上げられたパーティションの材料。
段ボール箱にかけられた洋服。
床に置かれたコップ。
教室から体育館への移動。

もっとしっかりした段ボールだったら。
ゆるくでもいいから仕切れたら。
あからさまに仕切るんじゃなくて。
洋服も収納できれば。
床に置かないでテーブルがつくれたら。
持ち運びが楽だったら。

きっと棚があるといい。

するっと持ち運べるいまのtanaのイメージがわいてきて、いろんな人に話しはじめた。

建築をやってるから思いついたのかもしれない。
何回も行ったから思いついたのかもしれない。

でもたぶん一番の理由は、避難所で東京から来たみずしらずの女子に、おもしろがって話しかけてくれたり、
いっしょに遊ぶとよろこんでくれて、「またきたぁー!」って抱きついてくれたこども。
その人たちにまた会いたくて、ただ会うんじゃなくて、なんとかしたい。
少しでも生活をよくして、いっしょに遊んで、いっしょに仕事がしたい。
そこから出てきた想いのかたち。

だから、その人たちに、棚をとどけたい。
いろんなことを教えてくれて、いっしょに笑ってくれた人たちに、お礼がしたい。
そしてその人たちとおなじような生活をしている人たちにもとどけたい。
それで、とどけて一緒につくりたい。
ものをつくる楽しさとか、自分のものをつくるよろこびとか。


長くなったけど、
これがわたしが棚を届けたいりゆうです。

















2011.05.06石巻市南浜町/日和山公園より

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